生徒を伸ばすのは「あと一歩」か、それとも「まず一歩」か
先日、職場で「生徒を伸ばすためには、楽しませるだけでなく、『悔しさ』を感じさせることが重要だ」という趣旨のメッセージを読みました。
内容自体には大きく共感する部分がありました。実際、生徒が「あと少しで解けたのに!」「悔しい!」と感じたとき、大きく成長することは確かにあります。
しかし、そのメッセージを読んだとき、私は少し引っかかるものを感じました。最初は理論的な部分が気になったのですが、振り返ってみると、本当に考えたかったのは理論の話ではありませんでした。
最初の違和感は「理論」だった
メッセージの中には、「i+1」「チクセントミハイ」「フロー」といった言葉が出てきました。私は以前から、i+1はクラッシェンの概念、チクセントミハイはフロー理論、という認識を持っていたので、「少し理論が混ざっているのではないか」という違和感を覚えました。
そこで私は、AIに事実確認をしました。結果、自分の認識の方が学術的には近い、という答えが返ってきました。そのやりとりをそのままコピーして、手元に残しておきました。
でも、後から振り返って気づいたことがあります。
その事実確認は、何のためだったのか
なぜ自分はわざわざ事実確認をして、それを記録に残したのだろう。そう考えたとき、正直に認めざるを得ないことがありました。
それは、「自分の方が正しい」「自分の方が知っている」ということを確認したかったのだ、ということです。
上司のメッセージが多少不正確であっても、伝えたい趣旨自体はちゃんと伝わっていて、行動にもつながる。それで十分なはずなのに、そこにわざわざ正しい・間違っているのジャッジを持ち込んでしまう自分がいました。
これは、自分の中にある「認められたい」「すごいと思われたい」という気持ちの表れなんだと思います。知っていることが偉いわけでも、正しいことが自分の価値を決めるわけでもない。それがなくても、自分にはもう価値がある。頭ではそう分かっているのに、とっさに出てくる反応は違っていました。
そのことに気づいたとき、理論の正しさよりも、自分の中の別の問いが立ち上がってきました。
本当に引っかかっていたのは何か
自分は普段どんな生徒を見ているのだろう。そう考えたとき、答えはすぐに出ました。
私が日々向き合っているのは、勉強に苦手意識がある生徒、自信を失っている生徒、宿題が進まない生徒、行動を起こせない生徒、失敗を恐れている生徒です。
そんな生徒に対して、「あと一歩で届くぞ!」という声かけが有効な場面もあります。しかし、その前に必要なことがあるように感じています。それは、「安心して挑戦できる状態をつくること」です。
私が大事にしているのは「安心感」
生徒の中には、分からないことそのものが問題なのではなく、「分からないことを認めるのが怖い」という状態になっている子がいます。また、「やってもどうせできない」と思い込んでいる子もいます。
こうした生徒に対して、さらにプレッシャーをかけても前に進めないことが多いと感じています。だから私はまず、間違えても大丈夫、分からなくても大丈夫、少しでもできたら認める、一緒に考える、という空気づくりを意識しています。
まずは、「あと一歩」ではなく、「まず一歩」を踏み出せる状態をつくること。それが私の中での優先順位です。
➔ しかし振り返ると、私は「悔しさ」も使っていた
ところが今回考えていて、面白い発見がありました。私は上司の考えに反対していたわけではなかったのです。
むしろ、できるようになってきた生徒に対しては、自然と「惜しかったね」「あと一問だったね」「次はできそうじゃない?」という声かけをしていました。「あと一歩」を感じさせる指導を、普通にしていたのです。
気づいたこと――安心感と悔しさは対立しない
今回の整理で見えてきたのは、安心感と悔しさは対立するものではないということです。私の中では、むしろ次のような流れがあります。
安心感 ➔ 小さな行動 ➔ 小さな成功 ➔ 自信 ➔ 悔しさ ➔ 成長
悔しさが力になるのは、「自分ならできるかもしれない」という感覚が育ってからです。自信がゼロの状態では、失敗は悔しさになりません。ただの諦めになってしまいます。
だから、安心感も大切。悔しさも大切。ただし、生徒の状態によって必要なものが違うのだと思います。
上司と私は違う生徒を見ていたのかもしれない
今回の違和感を整理していて思ったのは、もしかすると上司と私は違う段階の生徒をイメージしていたのではないか、ということです。
上司が語っていたのは、すでに動き出している、ある程度学習習慣がある、成長軌道に乗っている、そんな生徒をさらに伸ばすための話。一方で私が考えていたのは、動けない、自信がない、勉強を避けてしまう、そんな生徒をどう最初の一歩に導くかという話。だから最初は少し噛み合わないように感じたのかもしれません。
さいごに
今回のやり取りを通して、二つのことに気づきました。
ひとつは、指導観について。私はこれまで「安心感をつくる指導」を大事にしていると思っていました。でも振り返ると、成長した生徒には「あと一歩」を感じさせる指導も行っていました。安心感か悔しさかではなく、生徒に応じて無意識に使い分けていたのです。
もうひとつは、自分自身について。理論の正しさを確認したくなった裏に、「認められたい」「正しくありたい」という気持ちがあったこと。そこに気づけたのは、指導論そのものよりも大きな収穫だったかもしれません。
教育に正解はありません。ただ、今回一つ確信したことがあります。それは、生徒を前に進ませる方法は一つではない、ということ。そして、自分が何かに反応するとき、そこには大抵、もう少し奥にある本音がある、ということです。
ある生徒には、「大丈夫、一緒にやろう」が必要であり、別の生徒には、「あと少しだ、いけるぞ」が必要です。これからも生徒一人ひとりの状態を見ながら、そして自分自身の反応にも目を向けながら、「まず一歩」と「あと一歩」の両方を大切にしていきたいと思います。


コメント