退職してから、家事を一手に引き受けるようになりました。自分なりに精一杯やっています。そんな中で、妻の小言にイラッとしている自分に気づきました。自分はできていないのに、こちらには要求してくる。そう感じてしまうのです。
見つめてみて出てきたもの
このイライラを見つめてみると、二つのものが出てきました。
一つは、妻に対して「そちらこそ」と思ってしまう自分です。心のどこかで、妻より自分のほうが上の立場に立ってしまっていたのかもしれません。「言われたくない」「そちらも同じではないか」という気持ちがありました。
もう一つは、完璧にできていなければいけない、という思い込みです。ただ指摘されただけなのに、反応する必要はないはずです。それでも反応するのは、できていない自分はダメだ、という思いがどこかにあるからだと思います。きっと、誰に言われても反応するのでしょう。そこには、コンプレックスのような、自分の傷のようなものがあるのかもしれません。
妻の職場の話と同じだった
これは、妻が職場の人の文句を言っている時の様子と似ています。妻は、自分のルールに反する人に対して、とても過剰に反応します。「自分も言われた」という話を、よく聞かされます。私は「またやっているな」と思って聞いていました。自分はそこにはいないつもりでした。
でも、自分も同じように反応しているということは、まだその中にいるということです。他人の行動をジャッジする自分がいて、自分の行動もジャッジする自分がいる。そのことを感じました。
誰が何をしてもいいはずです。それなのに、いちいち反応してしまう。それは、自分の中に「こうでなければいけない」という前提があるからだと思います。仕事をしなければいけない。自分のことは自分でしなければいけない。今の状況で余裕がある人は、自分でする必要がある。余裕がない人に頼んではいけない。そんなふうに思っている自分がいました。
でも本当は、頼んでもいいはずです。できなければ、「できないよ」と断ればいいだけです。誰がどんな状態の時に何をしなければいけない、ということもないはずです。それなのに、自分でルールを作っていました。
抜け出したいこと
これまでの癖づけが、関係しているのかもしれません。誰かに嫌な思いをさせない。自分が嫌なことを言われない。それを守ることに必死になってきたから、こういう思い込みが生まれたのかもしれません。自分を守るためだった、ということです。
そこから抜け出したいと思っています。やりたい人がやればいい。できる人がやればいい。誰がどんな状態でいても、それでいい。そう思って、イライラせずに受け止められるようになりたいです。
そして、イライラしてしまった時には、「イライラしているな」と受け止めたいです。そのうえで、「なぜだろう」と気づけるようになれればいいと思っています。


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