塾の講師として、ずっと違和感を抱えながら働いていました。塾に来る生徒の多くは、本人のやる気というより、親の不安に押されて通っているように見えました。特に中学生になると、人生の見通しが持てなかったり、日々忙しかったり、オンライン指導ゆえの距離感があったりして、なかなか本人の気持ちが動かない。結果につながらないもどかしさの中で、生徒も自分も、そして保護者も、それぞれに苦しんでいるような状態でした。会社からは「やる気を出させるプロ」であることを求められましたが、本人との対話が十分でないまま目標だけを設定させることに、ずっと疑問を感じていました。
「別に勉強しなくていいよ」
あるとき、メンターにシンプルな質問をされました。「あなたは子どもたちに、まず何て声をかけたいんですか」。とっさに出てきた言葉は、「別に勉強しなくていいよ」でした。自分の口からそんな言葉が出てきたことに、自分自身が一番驚きました。そこから、やりたい生徒にはやりがいを感じられる一方で、やりたくない生徒の方が圧倒的に多く、そこに深く踏み込んでいくのは難しいと感じるようになりました。この仕事に自分の時間を使い切りたくない。もっと違うアプローチで子どもたちに関わりたい。そう思い、まずは転職という形を選ぼうと決めました。
白衣を脱いだ
辞めると決めてから、自分の中で小さな「反抗期」のようなものが始まりました。これまで「おかしいな」と思いながらも従っていたルールを、一つひとつやめてみることにしたのです。
まず、白衣を着るのをやめました。会社からは「相手に舐められないように」という理由で白衣の着用を指導されていたのですが、自分がしたいのは威圧することではなく、安心感を与えることだと感じていました。ちょうどその頃、4歳の息子を眼科に連れて行ったとき、担当の先生が白衣を脱いで、息子に「何も怖いことはしないからね、約束するからね」と丁寧に説明してから治療にあたっている場面を見ました。ああ、自分がしたいのはこっちだ、と思いました。会社の指導法は「心理学を使ってやる気を引き出す」という建前でしたが、実態は相手を威圧してコントロールすることに近いと感じていて、自分のやりたいこととは違うと思ったのです。
出さなかった読書レポートと目標
研修として課されていた読書レポートも、提出しないことにしました。自分から学びたくて読むのではなく、読み手への配慮をしながら会社の指導方針を正当化するために書かされているように感じていたからです。社長からは「心理学を使っているのに、心理学の本すら読んだことがないなんてありえない」というような発言もありましたが、それも本当の学びというより、疑われないための体裁づくりのように思えて、会社全体に漂う圧力とコントロールの空気に、あらためて違和感を持ちました。
前期の振り返りをやらせてもらえなかったにもかかわらず、今期の目標だけは提出するように求められたときも、矛盾を感じました。すでに辞めると決めていたこともあり、期限までに目標を提出することはしませんでした。
有給を使わず、わざと遅刻した
有給休暇が余っていたのですが、あえてそれを使わず、欠勤扱いで休んでみたこともあります。自分のやりたいことのために休むと、どんな気持ちになるのか。ただ試してみたかったのです。また、有給を使い切ってしまっていたタイミングで、自分の用事を優先してわざと遅刻したこともありました。会社よりも自分を優先して行動してみる、というのも、体験してみたかったことの一つでした。結果として、特に何か言われるということもありませんでした。
自分に許可を出せたということ
これまでの自分だったら、絶対にやらなかったはずのことばかりです。でも、辞めると決めたことで、「やってはいけない」と思い込んでいたことを、実際にやってみることができました。それがどんな結果になるかよりも、自分の心が「やってみたい」と思ったことを、ちゃんとやらせてあげられたということ自体が、自分にとって大きな体験だったなと思っています。


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