通訳ガイドの仕事を始めて、それなりの9ヶ月が経つ。姫路城の案内を任されるようになり、お客さんからのレビューも良く、最近では新しく始める同業の方の見学研修のお手本役を頼まれるまでになった。客観的に見れば、うまくいっている部類に入るのだと思う。それでも私は、この仕事をどうしても好きになれずにいた。
この仕事を始めたきっかけ
きっかけを思い出すと、始めた理由はとても前向きなものだった。自分を見つめ直し、やりたいことを探していた時期に、自分の強みを活かせる仕事をすればまた気持ちが軽くなるんじゃないかと思っていた。人前で話すこと、人を楽しませること、そして英語ができること。この三つを活かせる仕事はないかと探していたときに見つけたのが、通訳ガイドの仕事だった。面接を受けて、受かった。過去の自分からは想像もできない仕事だったし、今振り返ってもよくやったなと思う。
不安を抱えたスタート
でも始まりからずっと、緊張と隣り合わせだった。姫路城についての知識はゼロからのスタートで、マニュアルらしいマニュアルもなく、研修も最後まで受けられないまま現場に出た。不安を抱えたまま自分なりに台本を書き、練習を重ね、お客さんに質問されるたびに調べて覚えるということを繰り返しながら、少しずつできるようになっていった。
そしてアクシデント発生!!
そうして力がついてきた頃、ある出来事が起きた。一度、間違った情報を伝えてしまい、それをお客さんがその場でGoogleで調べて、間違っているじゃないかと指摘された。しかもそれだけでは終わらず、まるで私という人間そのものを否定するような態度を取られた。あの時のことは、今でも思い出すと不安がよみがえる。
間違えたこと=自分への低い評価
なぜあれほど堪えたのか、今ならわかる気がする。間違えたら、そのツアーが台無しになってしまう。台無しにしてしまった自分はダメだ。そんなふうに、間違えるという行為と、自分の価値そのものを一体化させてしまっていた。本来なら、それはただ情報が間違っていたという事実でしかないはずなのに、そこに「自分はダメな人間だ」という評価まで乗せてしまっていたから、一度の指摘が存在そのものへの攻撃のように感じられてしまったのだと思う。
レビューはいいのに・・・
それ以来、情報をブラッシュアップし、クレームが入らないように気をつけながら仕事を続けてきた。おかげでレビューは良くなり、見学のお手本にもなれるくらいにはなった。お客さんがどこで喜ぶか、どんなエピソードを入れれば驚いてもらえるか、自然と思い浮かぶようになったし、実際にお客さんも楽しんでくれている。得意なことを活かせているという実感は、確かにある。
不安を抑えようとしていた、緊張している自分を受け入れられなかった
それでも、あの緊張はずっと消えなかった。実力は十分についているのに、なぜ「間違えたら終わりだ」という不安が居座り続けるのか。ある時この話をしていて、「傷ついた自分や、それを怖がっている自分に共感できていないんじゃないか」と言われて、はっとした。確かにそうだった。感じないようにしよう、気持ちを抑えようとしていた。それだけでなく、今まで色々なことに向き合って気持ちが軽くなってきた自分なんだから、これくらいも気にならなくなっていなければいけない、成長していなければいけない、という目線で自分を見ていた。いまだに傷を抱え、不安を抱えている自分に、寄り添う態度ではなかったのだ。
自分への共感ができるようになって
その視点に立ってみて、ようやく緊張から解放された。この週末のガイドでは、気持ちに寄り添うことで不安が増幅することもなく、むしろ肩の荷が下りた。わからないことがあれば、素直に「わからない」と言えた。英語の単語の意味がわからないときも、「それはどういう意味かな」と聞けた。これまでよりもっと自分をさらけ出して、お客さんと向き合えたと思う。一つ、山を越えた実感がある。
乗り越えた先に感じたこと
けれど、それでもやっぱり、この仕事は楽しくない。緊張の山を越えても、その先にある感覚は変わらなかった。なぜだろうと考えて、たどり着いたのはとてもシンプルな答えだった。姫路城が、そもそも好きではないのだ。
得意だけじゃダメだった
得意は十分に活かせている仕事だ。でも、キャリアコンサルタントの方と話していて、「得意は活かせているけれど、自分が大事にしている価値観や好きなことと重なっていないから、楽しめていないんじゃないか」と言われて、腑に落ちた。もしここが本当に好きな場所だったら、報酬がもっと少なくても、やりたくてやっていただろうと思う。でも私は、姫路城の歴史について、面白い事実だな、面白い話だなとは思っても、同じ話を繰り返し話しているだけだという感覚がずっとあった。もっと誰かに伝えたい、という衝動が湧いてこない。
次に向けて
これは実力や根性の問題ではなかった。ただ、テーマそのものへの愛着がなかった、というだけのことだった。得意なことを活かして仕事をする、というのは間違いではない。それだけで続けていく道もあったと思う。でも今回の経験を通して学んだのは、得意なことに加えて、自分が好きなこと、誰に言われなくてもやってしまうようなことも一緒に持てる仕事を、次は探したいということだ。
まとめ
緊張と向き合い、傷ついた自分に寄り添えるようになったこと。そして、得意と好きは別物だと気づけたこと。この二つは、どちらも今の私にとって大事な発見だった。まだ答えは出し切れていないし、次に何をするかもこれから探していくところだけれど、今はそのままの気持ちで、ここに書き残しておきたいと思う。


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