今、私はとても穏やかな気持ちでこの記事を書いています。
自分の中の葛藤がすっと引いて、自分自身と調和が取れたような、そんな静かな変化の記録をここに残しておこうと思います。かつての私と同じように、知らず知らずのうちに何かを背負い込んで苦しんでいる誰かへのヒントになれば幸いです。
「認められたい自分」に気づいた日
先日、同僚の先生と観光ガイドの仕事について話していたときのことだ。時給の話になり、金額を答えたら、思ったほど驚いてもらえなかった。その瞬間、自分でも気づかないうちに「チップももらえるからもう少しあるんですよ」と付け加えていた。
後から振り返って、はっとした。なぜあんなふうに取り繕ったんだろう、と。
そこで見えてきたのは、「たくさん稼げている自分は良くて、そうでない自分はダメ」という思い込みだった。本当は、稼げる金額よりも、自分の気持ちが楽だったり、楽しかったり、才能が活かせている感覚があったりすることの方が大事なはずだ。頭ではそう分かっているのに、とっさに出てきたのは「認められたい」「すごいと思われたい」という反応だった。
理屈と反射のあいだにあるズレに、自分で気づけたことが大きな収穫だった。
仕事のモヤモヤから見えてきたもの
この気づきは、今の職場に対するモヤモヤとも地続きだった。会社の体制が中途端なこと、サービスとお客さんのニーズがずれたまま契約が進んでしまうこと。そこに強い気持ち悪さを感じていた。
「ちゃんとできていなければならない」「言ったことはやり切らなければならない」「できないならやってはいけない」——そういう思い込みが自分の中にあることに気づいた。
同時に、お客さんの側にも選ぶ責任があるはずだ、という視点も見えてきた。サービスが合っていないと感じたなら、それを見極めて判断するのはお客さん自身の課題でもある。そこまで自分が背負って、罪悪感を持つ必要はないのかもしれない。
「他人の課題」まで背負っていなかったか?
会社に対しても、「きちんとしてほしい」と強く求めて衝突するのは気が進まない。でも、それを無理に言う必要もない。自分の課題と相手の課題さえきちんと分けられていれば、それでいいのだと今は思っている。
何かをしなければ、何かを背負わなければ、と気負う必要はなかったのだ。
これからのスタンス
今の仕事を辞めることはもう決めている。けれど、辞めるまでの残りの時間を「早く終わらせたい期間」として消化するのではなく、一つひとつの思い込みや過剰反応に向き合っていく時間として使いたいと思っている。
これからのスタンスとしては、相手がどんな反応をするかに関わらず、まず相手が何を望んでいるのか、どんな願いがあってその行動をとっているのかを感じ取ること。そのうえで、自分にできることをやっていく。それだけでいいのだと思う。相手の反応をコントロールしようとしたり、認めてもらおうとしたりすると、また最初の「承認欲求」に戻ってしまうから。
そして、また自分の中に「認められたい」というエゴが顔を出したときは、それを責めるのではなく、「ああ、また出てるな」「これはどんな思い込みから来ているんだろう」と、ただ観察していけばいい。今日気づいた「認められたい」も「できていなきゃいけない」も、そうやって一つずつ見つけてきたものだ。
目の前で起きていることに対して、相手はなぜそう言っているのか、どんな要求なのか、自分はそれをどう感じるか——そこから自分の行動を決めていく。それだけで十分なのだと、今は思っている。



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