【考察】指導の中での「保身」と「教育」の違い——ニーバーの祈りと課題の分離から学んだこと

レビュー

※本記事にはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)が含まれています。

自分や他人を責めるためではなく、これから生徒や人とどう関わっていきたいかを整理するために記事を書きます。

指導の中で自分の中の前提が少しずつはがれていくような体験がありました。この記事は、オーディブルで聴いていた『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎・古賀史健 著)の考え方をベースに、実際の体験と対比させながらまとめた記録です。


1. 「できない」と素直に言えたこと

いつもなら少し声掛けをして「数を稼ぐ」「時間を稼ぐ」ような立ち回りをしていた場面で、自分には指導できないタスクが上がってきました。

これまでは無理して対応しようとしていましたが、今回は「自信を持ってできない」と素直に伝えることができました。

相手がどう思うかは自分にはコントロールできない領域です。だからこそ、自分ができる範囲のことに集中して行動に移せたのは大きな一歩でした。


2. 表情が悪い生徒への関わりと「課題の分離」

いつも表情が気になる生徒がおり、その日もむすっとした表情をしていました。以前なら「自分の対応が悪かったのかもしれない」と原因を自分の中に探していたはずです。

しかし、今回はそこで踏みとどまれました。「相手の機嫌や状態」は相手の課題であり、こちらがフレンドリーに接している以上、それ以上の部分を自分がコントロールすることはできません。

また、「何かしなきゃ」と自分を突き動かしていたのは相手への思いやりではなく、「対応しない自分はダメだ」という自分への責めだったことにも気づきました。


3. 声かけの動機は「指導」ではなく「保身」だった

さらに自分の反応を見つめ直す中で、一つの大きな気づきがありました。塾での声かけは、生徒のためではなく自分の保身だったのではないかということです。

「子供が失敗しないように」という名目の裏には、成績が上がらないことや声掛け不足を責められたくないという感情がありました。失敗を経験して自立していくプロセスを奪い、自分が責任を問われないための行動を取っていたのです。


4. 『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』から得た気づき

この気づきのきっかけとなったのは、アドラー心理学における「叱ってもいけない、褒めてもいけない」という考え方でした。

叱ることも褒めることも、相手を対等な人間として見ていない「縦の関係(上下関係)」が前提にあります。縦の関係が続くと、相手は自分の頭で考えるのではなく、こちらの反応をうかがうようになり、依存を強めてしまいます。

先回りして指示を出すのは、生徒を自分がコントロールできる位置に置き、自分が安心したかったからだと実感しました。


5. 自立を援助するということ

人生の責任を負うのは生徒自身です。支援者としてできるのは、最善の選択ができるように提案し、対話し、一緒に考えることだけです。

また、周囲からの評価や承認に依存せず、「変えられないものを受け入れ、変えられるもの(自分の行動)を変えていく」という姿勢が重要だと改めて感じています。

「神よ、変えることのできないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その違いを見分ける知恵を与えてください。」(ニーバーの祈り)

これから自分にできるのは、変えられるものである「自分自身の行動と関わり方」に意識を向けていくことです。


おすすめの書籍・オーディブル

今回の気づきを得るきっかけとなった書籍です。頭での理解を実際の行動へ落とし込む手助けをしてくれます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました