教育は自立のためにある、という気づき

レビュー

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これは自分を責めるための記録ではなく、これからどう関わっていきたいかを考えるための記録として書いている。

教育とコントロールの違い

オーディブルで『幸せになる勇気』を聴いていて、今日また一つ大事な気づきがあった。教育とは本来、自立のためにあるものだということ。そして、それ以外の目的で相手に介入し、コントロールしようとすることは、教育ではなくただの強制でしかない、ということだった。

聴きながら、社長がいつも言っているメッセージのことを思い出した。社長は教育のつもりで言っているんだろうと思う。でも、その言い方はかなり強圧的で、聞いていて息苦しさを感じることが多かった。その違和感の正体が、今日はっきりと見えた気がする。社長の言葉は、生徒の自立を願うものというより、すぐに結果を出させたい、思い通りに動かしたい、という気持ちが先に立っているように聞こえていたのだと思う。

待てない、信頼できない、失敗を許せない

この職場の限界も、そこにあるんだと思う。生徒の、そして講師である自分たちの成長を、待つことができない。信頼して任せることができない。失敗を許すことができない。

それはもしかしたら、社長自身が「信じられていない」何かを、自分の中に抱えているからなのかもしれない。だとしても、そういう環境の中では、これ以上働き続けることは難しいと、改めて思った。

もちろん、受験という現実がある以上、結果を求められる面があるのは分かる。でも、目の前の結果を急ぐあまり、その子がこれから歩んでいく人生にとって何が本当に大事なのかを考えずに、自分の都合で急かしてしまうとしたら、それは本末転倒だと思う。

失敗を許し合いながら進む

教育が目指すべきところは、子供が自分で考え、自分で行動できるようになることだと思う。うまくいかないこともある。失敗することもある。こちらがもっと上手にアドバイスしていれば、違う結果になっていたかもしれない。でも、それも含めて、お互いに失敗を許し合いながら、一緒に成長していけばいいんじゃないかと思う。

今日、態度が悪くなった生徒さんとのやり取りでも、同じことを感じていた。すぐに戻そうとせず、こちらの対応は変えずに淡々と続けること。それは待つこと、信じることの、小さな実践だったのかもしれない。


今回の考察は、オーディブルで聴いた『幸せになる勇気』(岸見一郎・古賀史健著)がベースになっている。

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